第19回難民映画祭:平和はきっと、つながりの先に ― 「ぼくたちは見た -ガザ、サムニ家の子どもたち-」古居みずえ監督インタビュー
2011年に制作された「ぼくたちは見た -ガザ、サムニ家の子どもたち-」は、第7回難民映画祭2012で上映されました。それから10年以上の年月を経て、パレスチナの人々は激化する戦時下でさらに厳しい状況におかれています。30年以上パレスチナで子どもや女性の取材を続けてきた古居みずえ監督に、撮影時と現在の想いについてお話をうかがいました。
公開日 : 2024-11-11
平和はきっと、つながりの先に
一つの家に100人が閉じ込められ、そこに3発のミサイルが落とされた。当時の私にとって、あまりにショッキングなニュースでした。生き残った子どもたちの声を伝えたくて、作ったのがこの映画でした。
残念ながら、この映画に出てくれたみんなが、今どこにいるのか、無事でいるのか、わかりません。 通訳として一緒に子どもに話を聞いてくれたラミーさんは、2023年11月に撃たれて亡くなりました。子どもが泣き出すと、一緒になって泣いてしまう、心やさしい人でした。
閉じ込められて、移動しろと言われた先でまた爆弾を落とされる。食料もなくなり、子どもは痩せこけてきている。恐怖やトラウマから、大人もおねしょしてしまうほど、追い詰められているそうです。
パレスチナの人々は、外の世界には、安全に、心穏やかに生活できる人々がいることを知っています。でも自分たちは閉じ込められて、その中で一人また一人と、命を消されてしまう。怖いと思います。孤独だと思います。きっと、自分たちと外の世界をつなぐ扉は、閉ざされてしまったと感じています。
私は、その扉を叩きたい。ずっと見ているよ、なんとかしたいと思っているよ、そう声をかけ続けたいのです。
平和とは、場所や信条の違いを超えて、人と人の心はつながれると、信じることだと思います。それは、人間が心のある人間として、生きていくということでもあると思います。
皆さんの心に今、なにか湧き上がる感情があるなら、どうかその感情を大切にしてください。そして、どんな形でもいいので、外に出してください。世界はすぐには変わらないかもしれない。でも、諦めずにつながりをつくり続けませんか。それが、私たち一人ひとりができる、暴力への抵抗だと思います。
もっと聞きたい、古居監督の話
■病を乗り越えた先に出会った、子どもの表情
――古居監督とパレスチナの出会いを教えてください。
たまたま足を運んだ写真展で見た、パレスチナの子どもの表情に心を打たれました。厳しい環境の中でも、負けまいとする心の強さが伝わってきたのです。
当初私はジャーナリストではなく、翻訳会社の事務職として働いていました。でも膠原病という病気を患い、それを乗り越えたことで「私には何だってできる!」「新しい挑戦がしたい!」と気持ちが高ぶっていたんです。思い切ってカメラを学び、写真展がきっかけでパレスチナに飛び込みました。
■現地で湧いた、愛着と怒り
――その後もパレスチナを撮り続けてきたのはなぜですか。
その地に通ううちに、どんどん惹き込まれていきました。保守的な人が多いイメージでしたが、慣習に反発する人もいて、多様な価値観がありました。悲劇をも冗談めかして語ってしまうユーモアを持っていました。私にも家族のように親切にしてくれて、いつも「大丈夫だった?」と心配してくれました。いつしか大切な人、大切な場所がたくさんできていました。
同時に、怒りも湧きました。彼らは、ただ普通に生活したいだけ。なのに、自由を、命を奪われ続けているのです。子どもが石を投げただけで撃ち殺される。長時間の通行止めで妊婦が病院に行けず死産してしまう。これはおかしい、事実を伝え続けなければならないと思いました。
■子どもたちは「何かが変わるべき」とわかっていた
――「ぼくたちは見た -ガザ、サムニ家の子どもたち-」を撮影する中で、古居監督ご自身はどのようなことを感じましたか?

子どもたちは、思い出すだけで気がおかしくなってしまいそうな経験をしています。それなのに、血のついた石を集めたり、絵に描いたりして、記憶を鮮明に留めておこうとしていました。私たちにも、見たこと、感じたことを率直に語ってくれました。なぜ、そうするのか。きっと、自分たちの経験したことは、この世界にあってはならないことであるとわかっていて、忘れず、伝えることで、何かを変えたかったのだと思います。
ゼイナブさんが最後に語ってくれた言葉は、胸に刺さりました。「私たちは信仰や教育で抵抗できる。それは武器よりも強い」。本当に、その通りだと思いました。一人でも多くの人に伝わってほしいです。

■生活を積み上げた先に待っていた、圧倒的な破壊
――古居監督は、この映画の後も子どもたちの取材を続けていました。子どもたちのその後を教えてください。
ガザは2012年、2014年にも侵攻を経験しました。傷がえぐられるような思いをしたはずです。それでも、子どもたちはそれぞれに成長していきました。ゼイナブさんは勉強を頑張って、いつも学校でトップの成績でした。進学する選択肢もあったはずですが、同居していたいとこと結婚し、母となりました。アルマーザさん、モナさんも結婚して、新しい生活を始めていました。カナーンさんは漁師になって、真っ黒に日焼けした姿を見せてくれました。
彼らはそれぞれに前を向いて、自分たちの生活を積み上げていたのです。それなのに、きっと今は多くのものが崩れ去ってしまったに違いありません。命が無事であることを祈っています。




■人と人の心は、さまざまな形でつながれる
――私たちに何ができるのか、古居監督のお考えをお聞かせください。
パレスチナのことを知る、支援につながるものを買う、SNSで発信する、人と話す、どれも意味があると思います。パレスチナの外にいるからこそ、私たちは何だってできます。外国人だからこそ、その行動はパレスチナの人々を勇気付けます。
日本ではあまり知られていないかもしれませんが、東日本大震災の後、パレスチナでは毎年3月11日に、被災地を想って凧揚げが行われていました。それを知った被災地の方々は、とても励まされたそうです。
人と人の心は、さまざまな形でつながることができます。その積み重ねの先に、平和はきっとあるはずです。
古居みずえ(ジャーナリスト、「ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち-」監督)
ジャーナリスト、映画監督。アジアプレス・インターナショナル所属。1988年より紛争下における中東パレスチナで、とりわけ女性や子どもたちに焦点を当てて取材を行う。
1998年~2002年はアフリカのウガンダ、アフガニスタンでも取材を行う。2011年より東京電力福島第一原発事故をきっかけに、福島県飯舘村にも通い続ける。著作では『ガーダ 女たちのパレスチナ』(2024年2月増版 岩波書店)、『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』(2023年11月増版 彩流社)など。映画監督作品に『ガーダーパレスチナの詩』(2006年)『ぼくたちは見た―ガザ・サムニ家の子どもたち』(2011年)『飯館村の母ちゃんたち 土とともに』(2016年)『飯舘村 べこやの母ちゃん―それぞれの選択』(2023年)など。
(インタビュー・文:第19回難民映画祭・広報サポーター 星有希)
第19回難民映画祭・オンラインセミナー
2024年11月21日(木)20:00~21:00「紛争下で暮らす子どもたち」
世界各地で起こっている紛争、戦争、人道危機。爆撃や暴力に日々さらされてきた子どもたちにはどんな影響があるのでしょうか。30年以上パレスチナで子どもや女性の取材を続けてきた古居みずえさんと、難民の子どもたちの問題について、映画、講演、出版などを通じて発信し、自ら支援活動にも取り組んでいるサヘル・ローズさんによるセミナー。


