第19回難民映画祭:映像翻訳を学び、奇跡の反戦映画と出会えたー【中島唱子さんインタビュー】

俳優の中島唱子さんは、1983年、『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)でデビュー。『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)など国民的なドラマに出演してきました。1995年に文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに留学し、2002年に米国人ジャズピアニストと結婚。日本とアメリカを行き来しながらキャリアを重ねてきました。今年の難民映画祭では上映作品『永遠の故郷ウクライナを逃れて』の字幕翻訳者として日本語字幕の制作に携わり、また、第19回難民映画祭・広報サポーターとして、難民映画祭を広める活動に参加しています。映像翻訳を学び始めたきっかけや俳優と字幕翻訳の親和性、難民問題に対する想いを聞きました。

公開日 : 2024-11-08

「渡米する前は些細な差異、例えば年齢や体形、学歴などにコンプレックスを感じていたんですが、アメリカに行ってみると、それ以上に大きな人種の壁などがありました。ニューヨークにいて国連も見学に行き、移民という立場で暮らしながら移民をバックアップするクラスで大学を目指した時もありました。LGBTのムーブメントもあり、人権そのものやアイデンティティを自分自身に問いかけるようになりました。私には故郷があるし、帰れる場所がある。日本でドラマや舞台に出演しながら両方の国にいることでバランスが取れていたのだと思います。」(中島唱子さん)

中島さんが映像翻訳と出会ったのはコロナ禍の時。俳優生活40周年の節目を迎えようとしていたころ、パンデミックが世界を襲いました。撮影中だったドラマも一切中止になり、演劇、映画の劇場も閉鎖。周りの役者仲間も相次いで予定されていた公演が延期、キャンセルになりました。今後60代70代にむけて何か発信していきたいと模索している時に、日本映像翻訳アカデミー(JVTA)代表の新楽直樹氏と出会います。(JVTAは協賛企業として長年にわたり、上映作品の字幕制作や寄付で難民映画祭をサポートしています。)

「それは、『俳優しかなかった今までの生活よりも、俳優もあるこれからの人生』を真剣に考えていた時でした。
『今まで、俳優しか経験のない私が、映像字幕の世界でその経験は生かせますか?』という私の問いに新楽さんは、即答されました。
『これから、ますますAIと共存する時代になっていく中で、心で行間を訳せる翻訳者がますます重要になってきます。』その言葉を聞いて新しいことに挑戦する勇気になりました。」(中島唱子さん)

中島さんは、『永遠の故郷ウクライナを逃れて』の字幕を9人の翻訳チームで制作しました。この作品は攻撃を受けるウクライナから避難を試みる市民たちを乗せた車中の様子を捉えたドキュメンタリー。監督自らが車を運転し、乗り込んでくるいくつもの家族の告白を淡々と映し出していきます。現地の背景を調べ、登場人物の会話を訳すなかで、それぞれが置かれた状況や心情を読み解きながら字幕を作りました。

「私が担当したシーンには家族と離れ離れになった子どもたちが登場します。演技ではない彼らのリアルな姿をその表情や言葉を発していない間も監督は丁寧に捉えています。この作品には、今戦争の最中にいるということをイメージできない私たちに訴えかける圧倒的なリアリティがあります。監督は映像にあえて激しい爆撃のシーンを入れませんでした。でも故郷を追われていく人たちの繊細な会話の中で、やはり私は役者としてアプローチし、映像には映っていない彼らのバックグラウンドや生活も考えて言葉を選びました。チームのメンバーともリサーチを重ねて何度も話し合いました。映像翻訳とは作品の『鑑賞』ではなく 『検証』です。この作品に出合えて、映像翻訳に挑戦して良かったと思えました。私の分岐点ともいえる運命的な出会いを感じています。」(中島唱子さん)

「『難民』という言葉に隠れがちな一人ひとりの現状や物語を伝えること。」それが難民映画祭のミッションです。新たな戦争や紛争により難民の数は増え続けています。日本では、難民問題をなかなか身近なこととしてとらえにくい背景もあると思いますが、震災や気候変動による天災で避難生活を送る人たちがいて、命がけで故郷を逃れ、避難生活を余儀なくされるという経験は、想像できることと思います。中島さんと翻訳チームの皆さんは1か月にわたる翻訳作業を経た後には、監督と共に同じ車に乗り込み、故郷を追われていく人たちの話を聞いている感覚になり、彼らのその後の生活をとても心配していると話します。

「私はこの作品から、人はどんな状況にあっても前へ前へと進む生命力をもっていると教わったように感じています。監督は車窓から見える青空や海や樹々の流れる景色を行間のようにいれながら、故郷をみつめる人々の心情を映し出しています。これほどまでに繊細で美しく、そして温かい生命力溢れる反戦映画を私は観たことがありません。昨今の混沌とした世界情勢の中で、今こそ平和について考えなければならないと感じることができた貴重な経験でした。難民映画祭が多くの方にとって、改めて世界や平和を考え、問い直してみる機会になることを願っています。

『世界を想う。平和を問う。』私自身もこのキャッチフレーズについてずっと自問自答しています。ただ、世界も平和も遠くにあるものではなく、無関心という閉ざした自分の世界の窓を開くという小さいアクションこそ、平和に近づく大切な一歩だと思います。」(中島唱子さん)

 

中島唱子(なかじま しょうこ)

1983年、TBS系テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』でデビュー。以後、独特なキャラクターでテレビ・映画・舞台で活躍する。1995年、ダイエットを通して自らの体と心を綴ったフォト&エッセイ集「脂肪」を新潮社から出版。異才・アラーキー(荒木経惟)とのセッションが話題となる。同年12月より、文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに留学。その後も日本とニューヨークを行き来しながら、TBS『ふぞろいの林檎たち・4』、テレビ東京『魚心あれば嫁心』、TBS『渡る世間は鬼ばかり』などに出演。2023年日本映像翻訳アカデミー(JVTA)の英日映像翻訳・実践コース修了。JVTAの公式サイトでコラム「中島唱子の自由を求める女神」を執筆している。


中島唱子さんの作品レビューはこちら


マチェク・ハメラ監督:映画「永遠の故郷ウクライナを逃れて(原題In the Rearview)」にかける想い

『永遠の故郷ウクライナを逃れて』翻訳の裏話①

『永遠の故郷ウクライナを逃れて』翻訳の裏話②

『永遠の故郷ウクライナを逃れて』翻訳の裏話③

 

【インタビュー・文】池田明子(第19回難民映画祭 広報サポーター)


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